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[献血にご協力ください。
そんな張り紙を読みながら、少し冷めた珈琲を啜る。
若者は貧血気味で、献血を行った事が無い。
こう言う張り紙を見て、人は献血をしようと思うのだろうか。
無いよりはまし、と言う事なのだろうか。
それにしても、もう少し興味を引く張り紙でも良いと思う。]
ドリンクバー付き、軽食も提供されます
ほんの五分でお腹いっぱい
[怪しいバイトみたいだな。
自分で口にしてみて、何か違うと思った。]
[椅子に深く腰掛け、顔を覆う。
どこともしれぬ身体の中が、じくりと痛んだ]
はぁ―――……
[長い、長いため息をついた。
近くに、自分を認識している女性がいることを思いだし、少しだけ背筋を伸ばした]
[何の変哲もない人生だった。
家を出て、就職をして、実家には両親も健在だ。
けれど、入院したなんて言えない。
一緒に暮らす人も、心配してくれる人もいない。
仕事だけだった。
それだけが生きていく理由で、術で、全てだった。
会社員
そういうレッテルを喜んで貼られた。それしかなかったから]
部屋にいると、暇でね…
[病室も、自分の部屋も。
名前もしらぬ人に、独り言めいた言葉を零してしまう。
「寂しい人だ」
胸のなか、はっきりと言葉にする。
自らを哀れんで、伸ばした背筋がまた少し丸まった]
― ロビー ―
よっこらしょ
[しばらく老眼鏡で何とはなしに文芸春夏を読んでいたが、同じ体勢でいたので少し疲れてきた。
眼鏡を外すと腰を上げて周りを見回す。
2,3人、このロビーの常連の入院患者の姿が見えた]
あらあら、新聞はシマさんにとられちゃったのね
シマさん読み始めると長いから
今日は早めに帰ろうかねぇ
はぎれも探さないとだし
[お嬢ちゃんが遊ぶのかい、と聞かれて、最初は少しむくれたような顔をした女の子が、笑顔を浮かべたその表情を思い出して、自分もにこにこしながら、まったく…と呟いた]
2人であそぶとしたら、5個は作らないとだねぇ
やれやれいそがしいいそがしい
ああ、小豆も買い物当番の職員さんにたのまないと
スーパーに売ってるし、お願い代もかからないでしょ
[すっかり自分も一緒に遊ぶ気になっていた]
― 廊下 ―
それにしても、人におしごとを頼まれるなんて、久しぶりだねぇ…
[介護棟へ戻る廊下を歩きながら、少し前のことを思い出していた。
我が家は、おじいさんが死んだ後、息子がほぼ完全にリフォームした。
バリアフリーにはなったものの、満州から引き上げて以降、ずっと動いていた柱時計が、針の音がうるさいし大きくて邪魔という理由で捨てられたのが寂しかった。
そのすぐ後の話だ。
孫は大学へ、嫁と息子は働きに出ていた。
あの日も、みんなのために、まだなれない新しい台所で夕飯を作ろうとしていた。
いつものように作ったつもりだったが、フライパンから火の手が上がった。
ぬれぶきんぬれぶきん、と探したが、思った以上に台所の配置は変わっており、ふきんがみつからない。
あれあれまぁ、どこだろう、と探しているうちに、炎は高くなり、真上の天井に触るくらいになった。
少しこげたにおいがした。
それでもふきんをさがして下の棚に頭をつっこんでいる時に、後ろから早くに帰ってきた嫁の声が上がった。
『おばあちゃん!何やってるの!!』
[棚から顔を出すと、嫁がコンロの火を止め、バスタオルやら大きな鍋の蓋やらをとにかくかぶせるようにするところだった]
…ごめんねぇ…
[何もいいようがなく、ただ座り込んで謝る自分を、嫁は大きなため息をついて見下ろした。
使えない奴、という目だった]
―自動販売機前―
[病室で本を読んでいたものの、何度も何度も読み飽きた本は退屈すぎた。
このままだと爆弾が爆発しなくても死んでしまいそうで、本を閉じて廊下へ出る事にした。
とはいっても院内だって歩きなれていて、新鮮味など存在しない]
あーあ、つまんないなぁ…。
[せめてお金があればジュースを買えるのに。
と、未練がましい気持ちを胸に自動販売機の前まで行ったところで、声が聞こえて]
どりんくばーで、おなかいっぱい?
[きょとんとして、首をかしげた]
[そんな目でみられたことに衝撃をうけた。
自分は美人だとは思わない。
でも、昔からよくちゃきちゃき働くねぇ、手際がいいねぇ、と褒められてきたものだ。
今日は火があがったけど、これまでだってちゃんとみんなのご飯を作ってきたのに。
当の嫁だって、義母さんは台所のことなら何でも出来ますね、と言ってくれたから、わたしが色んなことを教えてきたのに]
『…これからは火を使わないでください』
…うう、うぇえええん
[怒るような言葉と、見下されたことに、つい涙がこぼれた。
嫁はもはやこいつ超面倒、という表情を隠さなかった]
何もするな、なんて言わなくてもいいじゃないか、ねぇ
[思い出を振り切り、ふっと顔を上げると、廊下の自動販売機の前に、大体1ヶ月くらいに1度、検診を受けに行く外科の先生の姿が見えた。
近づくと、立ち止まってぺこりと頭を下げる]
こんにちは、先生
いつもお世話になっております
[そして少し考えた後、問いかけた]
あの、やっぱり外科のお医者さんから見ても、わたしはぼけているように見えますかねぇ
[自分の呟きが、木霊して帰ってきたのか。
いや、にしても声が若いか。
首を傾げながら顔をあげると、人影があった。
聞かれたか?
ああ、聞かれたろうね。
だから、木霊したのだものね。
苦笑いを浮かべながら、小さく手を振った。]
やぁ、どうした
君もジュースを飲みに来たのかい?
[誤魔化す手段が思い浮かばなかった。]
[苦笑いついでに、辺りを見回す。
丁度こちらに近づいて来る老女の姿があり。
若者は、彼女が下げる頭に合わせてお辞儀をする。]
いえ、その後お加減はいかがですか
[お世話になっております。
お加減はいかがですか。
いつでも、どの患者とでも、行われるやりとり。
彼女と自分とは、孫ほど歳が違うと言うのに。
それでも、先生なのだろうか。]
ぼけてるように、ですか?
一般にいう、ボケ、と言う奴はですね
言ってみれば、人より多くの時間眠っているような物なのですよ
子供が寝ぼけて、枕を抱いて歩き回る
それと同じような状態なんです
ですから、意識がはっきりしている間はなんの変りもありません
医者にかかる時のように、ある程度緊張を伴う場では見られないのですよ
[子供特有の好奇心の詰まったような輝く瞳で見つめ上げた後、首を左右に振り。
二つに結った髪の毛が動きにあわせるように揺れて]
ううん。
あのね、おこづかいは、にちようびに200円もらえるの。
だからね、るり、いまはせつやくしてるの。
えらいでしょ?
[無邪気に笑顔を浮かべ、口の横にえくぼを浮かべた]
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