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[転がっていった缶を、拾い上げてくれたようで。
あはは、と繕う笑い声をあげて手を差し出す。]
ありがとう、それは私のだ
手から缶が逃げてしまってね
捕まえるのに苦労していた所なんだよ
[彼女がそれを渡すのなら、受け取るだろう。
彼女が立っていたのは、煙草の自販機の前。
煙草を買いに来たのだろうか。
せっかくだし、話を振ってみよう。]
煙草かい?
「ありがとう、それは私のだ
手から缶が逃げてしまってね
捕まえるのに苦労していた所なんだよ」
[あははと笑う人、お医者さまでしょうか
わたしもにこりと笑って、缶を手渡しました]
逃がさないように、しっかり持っていてあげてくださいね
[「煙草かい?」その問いかけに、わたしはこくりと頷きます]
ハイライトと‥‥、ハイライトと、マルボロが、ほしいんです
[いつもなら、お札で払ってしまうのだけれど、今日はお札がありませんでした
小銭がいっぱい入った財布が、じゃらりと音を立てました]
どうも捕まえるのは苦手なんだ、ありがとう
[受け取った珈琲。
少し冷めるまで、それを握っていよう。
彼女は、ハイライトとマルボロが欲しいという。
彼女に並んで、煙草の自販機の前に立った。]
マルボロは、紅い方? 白い方?
[いくつか種類のあるその銘柄。
指をさして、聞いてみる。
彼女の財布から、小銭の音がする。
お金が無いわけではないようだ。]
で、何か困りごとかい?
こいつのお礼に、お手伝いするよ
赤いの、です
[わたしは自動販売機を指差して、答えます
ハイライト、410円
マルボロ、440円
足していくらになるのかしら
今のわたしは、それもわかりません
かみさまも、こんな感じだったのかしら]
その、すみません
ここからお金、とってください
[財布を差し出しながら頭を下げて、そうお願いしました
じぶんひとりで買い物もできないなんて、情けないなぁ
そう思いながら。]
[ぜろくんは、面白いことを教えてくれました
わたしはその時、マルボロを買おうとしていました
ぜろくんはわたしの代わりにお財布からお金を出してくれました
そうして、マルボロの話をしてくれたのです]
―とある見舞客の回想―
[見舞いを終えて帰ろうとした時、煙草の自動販売機の前に一人の女性が立っているのが見えた。
おろおろしていたから、困っているんだろうと思って声をかけた。
彼女は煙草を欲しがっていた様子で、お金も持っていたのに、それを支払えないのだと言った。
病室の番号を訊ねると、926号室だと言った。
そういえば、ここに勤めている看護師が926号室の人は買い物も満足に出来ないから、云々、と言っているのをちらりと耳にした覚えがある。
他にも、いかにも堅気ではなさそうな見舞客が来るから迷惑している、だとか、色々と。]
どれが欲しいんですか?
[彼女は、小さな声でハイライトと、マルボロと言った。
ハイライトと、マルボロ。マールボロか。]
お姉さん、マールボロの由来って知ってますか?
[そう訊ねると、彼女は首を横に振る。不思議そうな顔が可愛らしいと思って、俺もくすりと笑った。]
―Man always remember love because of romance only―
人は本当の愛を見つけるために恋をする、という意味らしいですよ。
[彼女は、ゆっくりと俺の言った言葉を復唱する。
俺は彼女の左手の薬指に嵌まった銀色の指輪を見て、笑いながらこう続けた。]
本当の愛、大事にしてくださいね。
[左手の薬指にする指輪など、婚約、あるいは結婚指輪以外の何物でもない。
どんな病気で入院しているのかは知らないけど、あんなに柔らかく笑う人なのだから、幸せになって欲しいと思った。*]
お金を?
[病室がわかれば、病気の種類がわかる。
けれど、若者は彼女の病室を知らない。
だから、彼女の病状は理解出来ていなかった。]
ああ、構わないよ
[彼女が財布を差し出すのなら、そこから小銭を取り出して。
掌に載せて、彼女に見せる。]
100円が4つと、10円が1つ
100円が4つと、10円が4つ
[そのままそれを自販機に投入し、二つの銘柄のボタンを押した。
缶よりも乾いた音がして、ぼとん、ぼとん、と二つの箱が排出される。]
君は、何号室の患者さん?
[100とかかれた銀色のお金が、4つと、4つ。
10とかかれた銅色のお金が、1つと4つ。
財布の中から取り出されました]
ありがとう、ございます
[ボタンが押されるとぽとん、ぽとんと控えめな音が鳴りました
わたしはお礼を言って頭をさげて、それからふたつの箱を取り出します]
926号室です
[かみさまと同じ、アルツハイマーとかいう病気のせいで数をかぞえられなくなったけれど、部屋の番号は覚えています
わたしはにこりと微笑んで、答えました]
[彼女が屈んで、自販機から煙草を取り出す。
違う銘柄を二つ、という事は誰かに頼まれたのだろうか?
そんな事を思ったけれど。
病室を聞くと、首を傾げた。
確か、926号は脳外科。
認知症の病室ではなかったろうか。
認知症の患者に、お使い?]
そうかい
私は外科医のユウキと言うんだ
今度、お見舞いさせて貰うね
[病室を聞いた手前、聞いた理由を作らなくてはならなくて。
一度、本当に見舞いにいこうと思った。]
困る事も多いでしょう
/*
なかのひとは、アルツハイマーをきちんとは理解できていません
だから、そぐわない描写がたくさんあると思います
ごめんなさい、ごめんなさい
謝罪の気持ちは、ちゃんとあります
ユウキ、さん
[この人は、やっぱりお医者さまのようです
わたしは名前をわすれないように呟きました]
わたし、ロッカです
むっつの、花で、ロッカ
[ほんとうは、ちがいます
ほんとうは、リクカと読むそうなのです
でも、かみさまはロッカと呼んでくれました
それに、「リクカ」はたぶん、あのときに死んだのだと思うのです
だから、わたしはロッカなのです]
「困る事も多いでしょう」
[その言葉に、わたしは笑います]
でも、助けてくれます
ユウキさんも、ひろくんも、ぜろくんも、みんな
優しい人がたくさんいるから
[優しい人が助けてくれるから、わたしはまだ、生きていられるのです
けれど、そんな優しい人たちの事を、わたしはわすれたくないと思います
その人たちを忘れてまで、生きていたくはないのです]
ロッカさん
六つの花で、六花さん
[うん、と頷いてみせた。
最近頭がぼぅっとするから、しっかり覚えておかないといけない。
若者も、彼女と同じように呟いた。]
ひろくんに、ぜろくんですか
優しい人が周りに多くて、羨ましい
ほら、窓の外をご覧なさい
今日は貴女の名、六つの花が咲いています
冷たい世界を、優しい光で包みこむ
そんな花が、咲いていますよ
[掌で、窓の外をさして見せる。
今日は、雪が降っているから。]
「ほら、窓の外をご覧なさい
今日は貴方の名、六つの花が咲いています
冷たい世界を、優しい光で包みこむ
そんな花が、咲いていますよ」
[ユウキさんが手の平でさした方向を、わたしは見ます
窓の外から、ちらちらと白いものが落ちているのが見えました]
‥‥雪、
[わたしは、昔、雪が嫌いでした
でも、今はだいすきです
かみさまのことを、思いださせてくれるからです
顔がほころぶのを感じました]
六つの花とは、雪の結晶の事
なんとも、美しい花だね
[儚さも象徴する雪であるけれど。
それは、言わない事にしよう。]
少し、触れてみるかい?
冷たいけれど、何故か嬉しい気持ちになれる
何故だろうね、見ているだけ、触れているだけ
それでも、雪は心を染め変えてくれる
まるで、誰かの願いが乗ったかのように
「六つの花とは、雪の結晶の事
なんとも、美しい花だね」
[ユウキさんの言葉に、わたしは頷きました
雪は綺麗です
綺麗なかみさまの髪の毛と、おんなじ色をしている雪
「触れてみるかい」と訊ねられて、わたしはまた頷きました
わたしは好きになったけれど、かみさまは雪はあんまり好きそうじゃなかったなぁ。]
[彼女が頷くのを確認して、少し外に出てみる事にした。
外と行っても、中庭のようなスペースで。
リハビリをする方達が、散歩コースにするような場所であるけれど。
病院の外に連れ出すわけにも、いかないし。]
じゃ、こっちだ
[彼女を促しつつ、中庭の方へ歩いて行く。
少し歩けば、そこに辿り着くだろう。
流石に、寒いかもしれない。
彼女が寒がるようであれば、白衣でも貸そう。
無いよりは、きっとマシだろうから。]
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