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…896号室。
クルミというのが私の名前。
楽しみにしてる。ユウキ先生。
[待つものがひとつ増えて、
本当はそれだけで随分と嬉しい。
綻ぶ口元で医師に笑いかけて。
私は、車椅子の車輪を軋ませて、
病室に戻る事にした。
お手玉と、手紙と、宿題を、
お昼ごはんを食べながら待つつもり。
「待ってるね」と言い残して。**]
クルミさん、だね
わかった、待っていておくれ
[楽しみにしていろ、と言えるならきっと良い。
だか、自分にそこまで自信はない。
ハードルは、出来るだけ低くしておきたい。
こんな事考えてるから、駄目なんだろうな。]
約束だ、必ず宿題は届けよう
[笑いかける彼女に、そう言って。
去っていく車椅子を、見送った。
これは、大変な宿題が出来てしまった。]
…―――
あとで、誰かに相談に乗ってもらおう
― 自室 ―
あら…
[朝。日当たりのいいこの部屋に日が差し込まない。
目が覚めると少しいつもより寝過ごしたことに気づき、薄手のカーテンを開けると、雪がちらほらと降っていた]
ここにも、雪が降るんだねぇ
[曇天の薄暗さの中、枯木立の中を雪が舞う様子は、満州であの人と出会った頃を思い出させた]
[部屋の温度はある程度施設で集中管理されている。
それでも少し肌寒い中、いつものように朝食へ向かうための準備をした]
まだまだだねぇ
[出掛けに、部屋の片隅の机の上のつぎはぎを見やった。
丁寧に縫っているため、今日小豆が届いたとしても、お手玉の形が完成するのは明日以降になりそうだ]
まぁ、時間だけは、いくらでもありますよ…
[独り言を呟いて、部屋を出た]
― 渡り廊下 ―
[朝食が終わった後、また病院棟へ向かう。
今日はくるみちゃんはいるだろうか。
ここに住んでいると言った彼女。
彼女にも時間はたくさんある。きっと]
あらあら、降りはじめたねぇ
[渡り廊下から外を見やった。
遠くに見える海は暗い。
その上を、灰色の空間を埋めるように沢山の小さな雪が舞っていた]
― ロビー ―
[くるみちゃんの姿が見えるだろうか?
病院棟にくるとそのままロビーを覗いた。
しかし、すれ違ったのだろうか、それとも今日は来ていないのだろうか、姿は見えない。
天気が悪く、特等席の陽だまりもできていない。
ちょっと違う所へいってみようかね、とのんびり歩いて向かった先は、子供たちが靴を脱いで遊べる場所がある休憩室だった]
― 休憩室 ―
しつれいします
[一声かけて、ひげを生やした見舞い客らしき男性の横の空いている席に座った。
男性は、駆け回る子供たちを、静かに眺めていた。自分も同じほうに視線を向ける]
元気だねぇ…
[昨日出会った少女も、ここにいる子供たちも、みんなどこかが悪いのだ。
でも、自分には、子供にはみんな、希望溢れる未来が待っているように見えていた。
まぶしい。微笑みながら目を細めた**]
[子ども番組が終わり、
次に始まったのは音楽番組だった。
それも、昨今の流行歌が流れるものではない、
昭和歌謡ヒットパレード、といった内容。
年末特番に、男の瞳が輝いた。
歌謡曲に演歌、フォークソング。
司会者の織り成す内容、その番組に心擽られ
もう少し、この温かな空間に居座ろうと心を決めた。]
[一曲目――
大好きな、あの曲のイントロが流れてきた。
そこへ、可愛らしい小奇麗な老女がやってきた。
歳の頃は母と同じくらいか、
それとももう少し若く見えるか。
歳を取っても女は女、
歳はわからないものだと眉尻を落とす。]
アンタさんも、お孫さんはいるのかい?
子どもはいいねェ、見ているだけで元気になるさ
[隣へ腰掛ける老女へ、満面の笑みで微笑んだ。
TVの中の、まだ若いシンイチが歌う]
『おふくろさんよ、おふくろさん……』
[大好きな、曲だ。
カラオケスナックでは、大体これを歌っていた。
けれど、母親の見舞い帰りに「おふくろさん」、
この曲を聴いて胸を熱くするなんて、
なんとも気恥ずかしく。
隣の老女に、気取られぬよう
会話を振った]
俺ちの孫はなァ、14歳になるんだ
他にも何人かいる…はずなんだがァ
娘が4人もいるもんで、もう孫も何人いるんだか
わからなくなっちまって… ははは
[なんだか、母と話しているみたいで
シンイチの歌声もあってか、妙に心が弾んでいた]
―病室―
ゆき…。
[病室の窓から、しんしんと舞い落ちる雪を見つめる。
窓を開けていたら看護師に怒られたので、ガラス越しなのは残念だったけど]
つもるのかなぁ。
いっぱいつもったら、おにわも、まちも、まっしろになるのかな?
[ガラスに頬を近づけると、触れた瞬間ひやりとした感触が走り。
それが妙に気持ちよくて額をガラスに押し当てた]
…みてみたいなぁ。
[演歌が、微妙に聞こえた。
テレビで何かやっているのだろうか。
テレビを見よう、と言う気分ではない。
何しろ、悩みの種が一つ出来てしまったから。]
ふむ…―――
[年頃の女性が喜びそうな事。
ナースに聞いたら、きっと白い目で見られる。
といって、患者さんにそういう質問もどうだ。]
難しい問題だな
[首を捻って、外を眺めた。
雪は、まだ降っている。]
[老女との会話はきっと弾んだはずだ。
寧ろ、此方から一方的に弾んだかもしれないが。
次第に、現代歌謡へ変化する曲と共に
自分の置かれた状況… 現実を思い起こす。
老女へ軽く挨拶し、病院を後にしようとロビーへ向かう。
前方には白衣の医師の姿。
昨日見掛けた人物と同じ人だろうか。
擦れ違いざま、聞こえた言葉に
神妙な面持ちを作った。]
先生様でも、解けない問題があるんですかね
そりゃあ、難題? なんちゃってなァ…
[おどけて見せた]
…―――?
ああ、聞かれてしまいましたか
[外を眺めていると、先生様、なんて聞こえて。
振り向いてみると、そこには男性の姿。
昨日、私を拝んでいた人だ。
おどけて見せているようで、心配してくださったのだろう。]
それは、私も人ですから
解けない問題もありますよ
私を喜ばせるような事を見つけてくれ、と患者さんに言われまして
どうすれば良いものかと、途方にくれていたのです
[見舞いの方であろう。
だから、多少弱音を吐いても大丈夫か。
そんな事を、自分に言い訳してみた。]
[些か莫迦にしたようにも聞こえる呼称であったか。
けれど医者というものは、
苦しむ者を自らの知識と腕前で救う、
尊い存在だと感じている。
同年代であれば「給料良いんだろうな」だの何だのと
黒い思いも燻るものだが、この医師は娘達よりも若いはずだ。
「がんばれ」と、応援の気持ちは自然と浮かんで]
「喜ばせる」……? ふむ、そりゃァまた…
謎掛けみたいなもんだねェ
子どもや女性ならぬいぐるみ、とかなァ…
絵はどうだい? 風景画なんか入院してると
気持ちが晴れるんじゃァないかね…
[暫し思案しつつ、考えてみた]
ありがとうございます
くるみさんへの手紙、最初に何を書けばいいか迷いました。
でも最初はやはり、お礼から。
くるみさんには、青空が似合うんじゃないかな、と私は思いました。青空の色、どんな色だと思いますか。
貴女が想う色をおしえて下さい。
天満
ぬいぐるみ、絵、ですか
なるほど、それも一つですね
[男性は、自分より随分と歳が上のようで。
父親ほどの年上の男性の言葉なら、アドバイスとして受け取って十分だろうと思い。]
私と年頃の変わらぬ女性なのですけれど
足を不自由にしているようで
外に出たいけれど、出られないと
だから、何か元気付ける事をしたいと思ったのですけれどね
どうやら、私はそう言うものが苦手なようで
先ほども、随分無神経な事を言ってしまいましてね
[苦笑いが自然と浮かんでしまう。]
どうしたものですかね
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