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[それから。
緑茶に合うだろうものを見繕い、いくつかレジにおいて、また他のお菓子の大袋をカウンターに追加し。店員がいぶかしむような目を向けても、にこり、と皺を一層寄せた顔を見せていた。]
[小さな、お菓子一つしか入っていないビニル袋を人形と同じように胸元に抱え、さまざまな菓子類――それこそチョコレートや和菓子など雑多に入っていた――のビニル袋を手から下げ、老婆はエレベーターに乗り込んだ。
彼女の最終目的地は、空が見えるところであった。けれど。]
あァ……、 あたしったら。
緑茶持っていこうと、持っていこうと思ってたってのに。
お菓子だけ持っていくつもりだったのかねえ馬鹿なことをしちまって。
あ、ちょい、ちょいと……止まっておくれよぅほら。
ほい止まった。よしよしいい子だ。降りるから動くんじゃないよォ。
[途中下車を選んだ老婆の姿は、3階に転がるように躍り出た。
談話室の緑茶を、買っていこうという魂胆だった。]
3階 談話室
[重くはないが嵩張りうるさく鳴る袋を談話室の一角、椅子の上に置くと、老婆は足を引きずりリズムのずれた歩行で自販機の緑茶を買い求めた。流石にすぐに動くことはせずに、袋の隣に仲良く腰を下ろす。
TVではどこかのアナウンサーが口早に若すぎた死を嘆いていた。その口上を眺める老婆の眼差しは焦点が微かにずれていた。
談話室内に知った顔があれば、もしくは話しかけられれば。いつもの老婆の顔を、皺にまみれた笑みを浮かべ、それこそいつも通りに会話するのだが。
午後のいまだ早い時間、そこにいる人物の把握までは老婆の思考は追いつかなかった**]
おや…………
[老婆は一度、ゆっくりとした瞬きをした。学生ほどの女の子が近づき、声をかけてきたのだ。そちらへ眼差しを、顔を向けると、口端を持ち上げた。]
んふふふ、お見舞いさんぐらい元気に見えるんなら嬉しいねェ
でも残念ながら、婆ちゃんは長ァく、ここにいる患者なのさ。
嬢ちゃんはァ――
[抱えた羊を、彼女が来た方向をたどり、広げられたノートを見]
お仲間さんかねェ……
可愛いお人形さん連れてる患者仲間ってやつかいね
/*
病棟行き来できないのかぁ……
そらそうだわねェ……
ちょっと調べてみてるけど、
病院内文化・患者文化も面白そうな匂いがしている。
面白そうというと不謹慎な気がするけど。
おやまァ、それならさぞかし大事なお人形さんだァ
その子もお嬢ちゃんのこと大分好きなんだろうねェ
[誕生日にもらったと紹介される羊は掲げられ、姿勢が伸び、心なしか胸を張っているかのようだった。老婆の腕に抱かれた人形は、その鼻先に自身の鼻を触れ合わせるように――そう、老婆の腕が動いた。セルロイドの顔面に描かれた瞳に白がいっぱいに映る。]
ンフフ、この子ァね。
ずぅいぶん長く眠ってたから自分の名前も忘れっちまってェ……
御船での旅はネェ 昔ァそれはそれは長かったから……笑わないでやっておくれよぅ
もしかしたァら、
羊さんの名前をきけりゃあ思い出すかも
[くしゃくしゃと顔を縮めるようにしながら笑い、言葉にするのは相手の見た目の年齢よりも聊か下の子を相手にするような人形遊び。]
[ふと、老婆は談話室の窓から外を見た。そこにはもう、虹の欠片さえもない青空が広がるばかりだった。]
奈緒ちゃんやァ、小春ちゃんも、
見たのかねェ……
そうそ、お嬢ちゃん、小春ちゃんってェ知ってるかい。
お嬢ちゃんよりかァちょいと御嬢さんだけどね、
その子ァ病院で退屈してそうなのさ
[皺の中にある黒目はゆっくり戻り、羊と、それから持ち主の女の子を見る。彼女が小春のことを知っているならばそれ以上言及はせずににこりと笑うくらいなのだが、もし、知らなかったとしたら。お友達誘っていってみるといいよ などと唇をすぼませながら言った。]
[それは田中老人特有のお節介でしかなかった。
小春が同年代ほどの女学生が見舞いに訪れて喜ぶか――というのは、まだ数十分しか過ごしていない彼女には計り知れるところではなく。]
御嬢さんよりかぁ、御嬢さん ……ありゃァ何か違う……?
お姉さんよりか御嬢さん これでもなくて、えェとぅ――
あらァ。孝治くんじゃないの。
こんにちは。……あら、もしかして。二人はお友達?
[現れた後藤と、羊連れた女の子との間で視線は泳ぐ。
彼と話したことは幾度もあった。彼の話ぶりにも、また、彼の読む本にも、頭が良いんだねェと孫に向けるような視線と共に褒め言葉を向けることも。]
[うんうん、と首の皺を深めたり薄めたりしながら頷いた。
話題の転換のように人形に話が及ぶと、ンフフ、ともったいぶったような、娘のような声色で笑い]
あらま、流石の孝治くんだ。
女の子の服装変わってるのに気づくたァ粋な男だねぇ。
そうなんだよ、今日の朝、びろうどのスカート縫い上げてね
さっそく新調してきたのさァ……
ふふ、ほォら、気づいてもらって嬉しそうだこった
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