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朝
――お疲れ様でした
[退勤する同僚へ、浅く頭を下げた。
昨日も、この場所で生涯を閉じた人々が居たらしい。
ぼんやりと思案する野木が閉じた、入院患者リストの最後に並ぶ名前は、
[外科医 ユウキ]と――]
/*
アネモネの、花言葉
「はかない恋」「恋の苦しみ」「薄れゆく希望」「清純無垢」「無邪気」「辛抱」待望」「期待」「可能性」
(赤)「君を愛す」
(白)「真実」「真心」
(紫)「あなたを信じて待つ」
/*
1月10日(明太子の日・110番の日)
2月2日(バスガールの日・国際航空業務再開の日・頭痛の日・交番設置記念日・夫婦の日)
3月10日(砂糖の日・東京大空襲記念日・東京都平和の日・農山漁村婦人の日・佐渡の日・水戸の日・ミントの日・サボテンの日)の誕生花
アルメニアの国花
名前はギリシャ語の「風を意味する語からきている。
長い毛をもつタネが、風にのって運ばれることから。
ギリシャ神話の伝説。
(その1)
西風の神・ゼフュロスに見そめられた、花の神・フローラの侍女「アネモネ」。
嫉妬のあまりフローラは彼女を花に変えてしまった。
春風がアネモネの花を優しくなでるのは、ゼフュロスが今でも彼女のことを愛しているからだ、という。
(その2)
美の女神・アフロディテ(ビーナス)に愛されていた美少年・アドニス。
狩りに出かけたときに、アフロディテの愛人・軍神マルスが姿を変えたイノシシの牙にかけられ、命を落としてしまう。亡骸に駆け寄ったアフロディテが流した涙が、この花になったとされる。
今日は私の番か
事故死2連続、はちょっとだけど
頭痛で脳腫瘍フラグを立ててはいるものの、ちょっとそれで即死っていうのもな
どうやって死ぬのがいいのか
ルリちゃんの手術もあるしなぁ
[いつもと変わらぬ仕事を終えて、帰宅した家。
いつもと変わらぬその部屋に、いつもと変わらぬ夕食、いつもと変わらぬテレビの雑音の中、いつもと変わらず横になるベッド。
例えば人に、どんな事があろうと。
世界は、何も変わらず回り続ける。
たった一人の人の死は、世界を何も変えない。]
唐揚げ、うま
[ただ、少しだけ。
今日の食事は味気なかった。]
[朝はやく、アネモネのお花が届けられました
白いのと、赤いのと、紫色のがあります
わたしはそれを持って、マフラーを巻いて、部屋の外へ出ました
彼女が贈ってくれたマフラーを。
けれど、困りました
わたしはクルミさんの名前しか知らないのです
どこにいるのかも、わからないのです
お花を持ったまま、わたしはただうろうろしていました]
「お姉さん、どうかしたんですか?」
[すると、男の人の声が聞こえました
振り返ると、見覚えのある人がいました
ぜろくんです
お見舞いに来たのでしょうか
わたしは答えました
人を探しているんです、って
それなら、とぜろくんは笑って口を開きました]
―とある見舞客の話―
入院している人なら、看護師さんに訊けばいいと思いますよ。
その花……アネモネは、お見舞いか何かなのでは?
[見覚えのある人だったから、声をかけた。前みたいに困っているように見えたし。
すると彼女―確か、ロッカと名乗っていた―は、首を一度小さく振った。
お礼をしに行くんです、薄く笑って言う姿はどこか微笑ましい。]
ロッカさん、アネモネと言う花のこと、ご存知ですか?
[ふと思いついて、訊ねる。彼女は首を横に振った。]
アネモネは、長い毛を持つタネが風にのって運ばれることから、ギリシャ語で「風」を意味する語からつけられた名前なんですよ。
「はかない恋」、「恋の苦しみ」――「清純無垢」、「無邪気」、「辛抱・待望」、「期待」、「可能性」と言った花言葉を持つんです。
特に赤い花は「君を愛す」、白い花は「真実・真心」。紫の花は「あなたを信じて待つ」と言う意味が込められていて。
それから、ギリシャ神話ではアネモネに関する伝説があるんです。
花の神フローラの侍女であるアネモネ。彼女は西風の神であるゼフュロスに見初められたけれど、嫉妬したフローラが彼女を花に変えてしまった、という話が一つ。
春風がアネモネの花を優しく撫でるのは、ゼフュロスが今でも彼女を愛しているからだ、という話です。
[きらきらした目で話を聞く彼女は、見た目よりも随分と子供みたいだ。
こういう反応をされると、話す側としては嬉しくなる。]
……それじゃあ、そろそろ行かないと。
その相手が、喜んでくれると良いですね。
[あまり長くなっても迷惑だろうと、俺はここで話を切り上げた。
あいつの見舞いにも行かなきゃいけないし。
微笑みながら彼女に背を向け、歩き出す。
「薄れゆく希望」と言う花言葉もある事を、俺は敢えて言わなかった。*]
[ぜろくんと別れて、近くにいた看護師さんに訊いてみました
クルミさんのお部屋はどこですか、って
車いすに乗っている女の人なんですけど、って
すると、看護師さんは言いました
彼女は昨日亡くなりましたよ、って
わたしは何度かまばたきをしました
それから、そうですか、わかりました、そう言って看護師さんにお礼を言いました
それから、立ち尽くします
どうしましょう、どうしたらよいのでしょう
腕に抱えたアネモネの、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐりました]
[わたしはアネモネを持ったまま、屋上へ行きました
理由はわかりません
ただ、何となく行きたくなったのです
そこでわたしは、空を見上げます
とても、とても綺麗な青空が広がっていました
なぜだかわかりませんが、その綺麗な空が、クルミさんに似ていると思いました
ふわりと冷たい風がわたしの頬を撫でるけれど、マフラーが暖かくわたしを包んでいてくれました]
[わたしは、アネモネを一輪ずつ風に乗せて飛ばしました
ふわりふわりと風に乗って散って行きます
ぜろくんがさっき教えてくれた話を思い出しました
ゼフュロスと言う風の神様が、花の神様の侍女だったアネモネを愛しているから、アネモネは風に優しく吹かれているのだと]
[その神様が、このアネモネを空の上まで届けてくれたらいいのになぁ、
そう思いながら、わたしは花を風に乗せていきました
クルミさんと、かみさまに、届きますように。
届いたら、クルミさんは喜んでくれるでしょうか
かみさまは、笑ってくれるでしょうか
腕の中の花がすっかりなくなるまで、わたしはずっとそうしていたのでした]
[今日の夢は、とても不思議な夢だった。
若者は、どこかの道を歩いている。
誰かの後ろ姿が、目の前に見える。
誰かを追っているのか?
いや、それにしては歩行速度が遅い。]
まだ早かったか
[何故か若者はそう言い、苦笑いを浮かべる。
追っていた誰かは、振り返らない。
ただ、道を歩いて。
遠くに、真っ青な空が見えた。]
[そして朝。
今日も電話で目が覚めた。
最近、こんなことばかりだ。
今日は、私の患者さんに関しての電話だった。]
ボタンさん?
はい、わかりました
[月に一度、検診にくるおばあさん。
そのおばあさんが、亡くなったと言う。
いそいそと服を着替えて、病院に向かう。
葬儀に、行けるだろうか。
今日の仕事は、はやめに切り上げよう。
そういえば、今日はルリちゃんが手術だったか。
私が手術をするわけではないけれど。
手術前に、彼女に何か送っておこう。]
[ジュースが好き、と言うことしかしらないから。
何がいいか、よくわからなかったけれど。
あの歳の女の子だから、というので縫ぐるみを買ってあったんだ。
少し大きめの、くまの縫ぐるみ。
あとで、持って行ってあげよう。
そう思って、抱えたはいいけれど。
これをもって出勤するのは、予想以上に恥ずかしかった。]
空が青いな
[夢でみたような、綺麗な青空。
冬だというのに、こんなにも空が高い。
珍しい事もあるものだと、若者は思った。]
[病院にたどり着くと、まずはナースに縫ぐるみを渡した。
ルリちゃんに、渡してくれと頼んで。]
ジュースの先生から、と言えばきっとわかる
お願いしたよ
[変な目で見られている気がするが、被害妄想だろうと思うことにした。
今日も、微糖の珈琲を買う。
サンドイッチは、買わなかった。]
夢
[今夜、夢を見た。
休憩室で、『おふくろさん』を聴きながら。
隣に腰掛けた少女の言葉に、静かに頷く。
『子供は、いいねぇ…』
「はは、アンタさんだって子供だろうが」
「そうだな、…俺ちの孫とはどうやって遊んでやりゃあ喜ぶかねェ」
「娘達が若い頃は、片栗の花を観に行ったりしたよ」
「紫色の小さな花が、群生している場所があるんだ」
「春の花だ。アンタさんはすきかい?」
「すきならきっと、孫にも喜んで貰えるかもなァ…」]
[若いお嬢さんと、病院の休憩室で語り合う夢だ。
目覚めた時に不思議な気持ちになったのは
そのお嬢さんと、何処かで逢った気がするのに
それが誰なのか、
はっきり思い出せなかったからだろう。]
……これも、縁てやつかねェ
[既に日課となりつつある母の見舞いに
今日も、出掛ける]
病院・ロビー
[見上げた先には、抜けるような青空があった。
燦々と降り注ぐ陽光が、青空をより際立たせる。
雪も随分と溶けたことだろう]
ああ…、清々しい朝だァな……、
[青空を見ていると、生きる気力が湧いてくる。
外で深呼吸してから、病院を訪れた。]
青空に願いを
[爪先に赤が残った両足で、立つ。
誰も居ない、屋上の隅。
私が着ているのは簡素な寝間着ではなく
鮮やかな朱色のワンピース。
スカートの裾が優しい風を孕んで膨らむ。
頭上には美しい青空。
風が運んでくれたアネモネに、手を伸ばす。
そして一緒に、柔らかな風の流れに乗って、
私は、空を駆ける。**]
― 昨日 夜 ―
[今日はお風呂の日ではない。
夕食を終えると、部屋の洗面所で歯を磨く。
といってももうそんなに残っていないのだが。
こまごまを片付け、ベッドに向かう。
と、くるりと向きを変え、机に向かうとお手玉をとった]
よしと
明日はロビーに行きましょう
綺麗な夕焼けが出ていたからねぇ
きっと明日はすっきり晴れるよ
[2つのお手玉を一人でぽんぽん、とまわす。
あずきが零れ落ちる気配はない。
なかなか良い出来だ。
ふふふ…と笑うと、お手玉は机におきなおし、そのまま床に就いた]
[横になると、いつものように、視界が暗くなっていく。
いつものように、隣の老人が扉をたたく音がする。
でも、音は遠く、眠りかけの身体はさらにずっと深いところへ沈み込もうとする]
(あれあれ… いつもと何だか違うねぇ)
[暗い空間を鳥のように滑空しながら落ちていく感覚がする。
その空間の、向かう先の深いところに小さな明るい空間が見えた。
いつものおじいさんの夢…?
いや、あれは…]
満州の…カフェだよ…
[あっという間にずいぶん近くなった建物の、格子の窓の隙間から中が見える。
ウォルナットの机と椅子の数々。
入り口にあるコートかけ。
大きなストーブと天井から下がる丸いライト。
二階から木の階段をとんとんと降りてくる音が聞こえてくるようだ。
人が居る?
空間から墜ちるように身体が店の入り口に向かう。
扉ががらんがらんという音を立てて開き、頭から飛び込むように明るい空間に滑り込む。
視界が光で真っ白になった**]
[今日も、母の病室へと歩を進める。
けれど501号室の名札は外されていた。
ナースステーションへ声を掛けると
母は昨夜、意識レベルが著しく低下し
集中治療室に移動になった、という事だった。
医療器具の音色が微かに響くその部屋を訪れる。
眠ったように瞼を閉ざした母――]
母ちゃん、……かァか、……、
[声を掛けても、頬を擦っても、
母は目を開けることは、なかった]
―手術室―
[普段着ている入院用のパジャマではなく、手術用の服を着せられ。
涙ぐむ両親に見送られながら、手術室へと向かった。
もしかするとこれが最後になるかもしれない。
そうわかっては居ても、気の利いた言葉など出ては来ず。
「だいじょうぶだよ」などと根拠も捻りもない言葉と笑顔を向け、小さな体は手術室へと運び入れられた。
白くて、よくわからない機械がたくさんある、変な部屋。
まじめな顔をしている見覚えのある医師や看護師に、ゆるやかな笑みを浮かべ。
全身に麻酔をかけられて、意識は混濁していき。
――二度と目覚める事はなかった]
[暫くそうして、何もできずに母の傍に佇む。
集中治療室には、妹がやってきた。
顔を合わせるのは十数年ぶりの事だった。
妹は銀行家の元へ嫁ぎ、
男が金の無心に訪れても「二度と来るな」と
一蹴するほどの気の強さを持ち合わせていた。
『アンタみたいな貧乏人が兄貴だなんて
恥ずかしい』
これが、彼女の捨て台詞だった]
[だから、何を話していいものか悩んだ挙句、
『かァか、死んだように寝てるぞ』
そう巫山戯たら、見る間に彼女の顔が怒気に染まった]
『母さんはまだ死んでないわよ!!』
『そんなことばかり言ってるから
奥さんや子ども達に逃げられるのよ!!』
[ヒステリックに叫んで、泣き始めた妹を
看護師が宥めていた]
ああ、そうだな、そうだなァ
…俺ちは阿呆だからなァ
[数年前なら、彼女へ食って掛かっていただろう。
けれど自分にはもう、そんな気力はなかった。
集中治療室を後に、足はふらりと階下の中庭を目指す]
中庭
[途中、休憩室で見掛けた
子ども用の色鉛筆とスケッチブックを借りて
絵を描くことにした。
油絵の道具はとうに売っぱらってしまって
今では家にも、100円均一で買った
スケッチブックと鉛筆くらいしか無いのだ。
悲しい気持ちから逃避する為、白い画面に描くのは
病院の中庭の光景。
正面の見事な櫻の木、今は葉もなく寂しいけれど
そこには、薄桃色の花弁を咲かせた樹を描いた]
[これならば、あの若い先生が
彼女に見せる写真の代わりに、なるかもしれないと。
桃色の樹の下には、車椅子の女性と語り合う
スーツ姿の男性を描いた。
目で見た光景ではない。
其処にそうして佇んでいたら
絵になるだろうとの演出だった。]
――あの若先生、名前なんつったけなァ…?
[完成した絵を渡そうと思ったが
相手の名前を聞いていなかった。
そのうち逢えるだろうと、次の絵に取り掛かる。
同じ中庭、今度は雪の夜の光景だ。
樹の横には大きなゆきだるまを描き
その横に、ゆきうさぎを嬉しそうに両手で抱える
ルリちゃんを描いた。
そして、それを穏やかに見つめる――品のある女性。
老女を描く心算が、何故か若い女性になってしまい。
空には、藍色の空に黄色の鉛筆でオリオン座を描く。
何処か、暖かな絵になったものだと、自画自賛した。]
[筆が温まってきたように感じられた。
実際には筆ではなく、色鉛筆なのだけれど。
こうして、何かを描くのも久し振りだった。
描いてみたい、と感じる光景に出会うことも。
緩く天空を仰ぎ見る。
青空を背後に聳える病院の、屋上の柵が見えた]
『かみさま』
[そう話していた、煙草を吸うお嬢さんを思い出し――
空へ向かい、薄煙を吐き出す横顔と、『かみさま』を描いてみる。
『かみさま』の姿に思案して、結果形になったのは
白い髭と白い巻き毛の、赤い服を着た老人で]
クリスマス、だもんなァ…
[サンタクロースに酷似した『かみさま』は
煙草を嗜むお嬢さんへ、空から穏やかに微笑んでいる。]
[スケッチブックは、更に新たな線を綴る。
穏やかな、母の笑顔。
貧しさも、不安も、病の痛みも
その全てから解放されて、ただ嬉しそうに微笑む
母の笑顔を描き出す。
頬の皺も、一際下がった眦も
染みの浮かぶ肌も、その全てが彼女の生きた証。
自分と、兄と、妹と弟。
次の世代を健気に守り、慈しんで育ててくれた
偉大な存在を紙へと記す]
――母ちゃん…、
[その声音は音と為す前に、白い呼気となり
大気へ、溶けた]
[スケッチブックに描く色。
最後に描いたのは、四人の娘達と女房の絵だった。
幾度となく繰り返してしまった暴力と
一向に改善されぬ貧しさに痺れを切らし
男が目を離した隙に500キロ離れた土地へと
逃げてしまった娘達と妻。
まだ十代だった娘達が、友人全てを切れる筈はなく
友人ひとりひとりを訪ね歩いて、移転先へ迎えに行った。
今度こそ、心を入れ替え仕事に励むと。
暴力は一切奮わないと。
土下座し、二度戻って来させたけれど
慣れてしまえば常と変わらぬ生活に、
娘達は完全に男を見捨てた。
妻の居場所は、煙のように消息を掴めなくなってしまっていた]
[やがて、移転先でそれぞれ結婚し、
地盤を固めていく娘達に、幾度となく金をせびった。
妻の居場所を探ろうと、電話口にまだ小さな孫を出させ
「ばあちゃんはどこに住んでいるかなァ」
とカマをかけた。
「ばあちゃん?えっとね…」と語ろうとした孫から
娘が電話を取り上げ
『旦那の方のばあちゃんの事だから!』と
慌てふためいていたのも、記憶に新しい。
そんな自分の所為なのか、妹と同じように
『こんな父親は居なかった』ことにしたかったのか
娘達とも、連絡が取れなくなっていく]
[描き上げた娘達の姿は
彼等が居なくなってから、網膜に焼き付けんとばかりに
幾度も幾度も眺めた、家族旅行の際の写真の構図。
それぞれが華やかにお洒落をし、
豪奢な温泉旅館の前で撮ったもの。
もう、戻れないと知るが故
決して忘れることの出来ない一枚だった。
男は、絵の横に文字をしたためる]
[それを、誰かに計られる心算なく
自分で、自分を卑下する心算もない。
今はただ、そう――
カタクリの花が見たい、と
ただ、それだけを感じて
絵をしたためたスケッチブックを
休憩室にそっと*戻した*]
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