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[何がなんだかわからないまま、頷いたような気がする。交際の約束をしたことはなかったが、彼は良い友達だったし、別にこの先ずっと一緒にいたって構わない。多分、これまでとそう大きな変化はないのだろう。そんなことを漠然と考えていた。
写真や、指輪や、各種の手続き。
それらの準備をばたばたとしている間に、幼馴染は転職をして、すこし離れた街に引っ越すことが決まった。
その段になって、住み慣れた家を出て新しい生活を始める覚悟ができていなかったことに、冬香はようやく気がついた。事の重大さに、気がついた。]
[なんだかんだで、それから二年。
やっと、今の生活に慣れてきたような気がする。
しかし時には、以前の暮らしがどうしようもなく懐かしくなることもあるのだ。箪笥の引き出しに貼ったシールの痕まではっきり思い出せるあの家が、懐かしくなってしまうのだ。]
[珈琲を隠していたのは、自分も同じ。
彼を見ているつもりだったけれど、その奥にみていたのは、]
わたしも。
彼じゃ、ダメだったのよ、ね。
[忘れることの出来ない、ひと。
その影を、彼の向こうにみていたから。
本当は、わかっていたのだ。
お互いに、最初から。
それを互いに隠しあって、見えないように、見ないように、蓋をして。
偽りの、いつか壊れるひと時の幸せを、演じてきた。
でもそれは、悪いことだったのだろうか]
さて、と…
[ココアを半分飲み終わったところで動く芸術絵画鑑賞の時間はおしまい。ここへ来た目的を果たすべく、おもむろに教科書やノートを取り出す
さっきからウェイトレスがいい匂いと共に行ったり来たりしているが、今日はサンド特売日でもやっているのだろうか
誘惑の香りに負けそうになるが、財布の中身を思い出して小さく苦笑]
さっ、おべんきょおべんきょ
[筆箱をひっくり返して机に文房具を出し、腕捲りして最初の参考書にとりかかった]
『勉強しなさい』
[…なんて大人達は言うけれど、『なんで?』と聞くと返ってくる答えはみんな違う。大人なんてみんないい加減だ
都合のいいように返事して。
自分に非があったら逃げ出して。
まわりからの助言には耳を塞いで。
子供の方がよっぽど純粋で綺麗だ
あんな大人にはなりたくない、だから私は誰の力も借りずに立派な大人になってやる]
『勉強しなさい』
なんで?
『…立派な大人になる為よ』
じゃあ勉強しなかった人は立派な大人じゃないの?
『そうよ』
そっか、じゃあ今の大人は誰も勉強しなかったんだね
『……何、言ってるの……?』
『学校に行きなさい』
なんで?
『いいから行きなさい!私が皆から何か言われちゃうでしょ!』
…お母さんの為に、私は学校に行かなきゃいけないの?
『いいえ、あなたの為なのよ』
…私、行きたくない
…っ………
[思い出したくないものを思い出し、ぎり…と奥歯を噛む。
気を紛れらわせるように、ペンをしっかりと持ち直して次の問題の二次関数に取り掛かった]
『暴力』を使うのは、弱い人だ。
それ以上言い返せなくなると、腕力にものを言わせて相手を捩じ伏せる
つまり、自分の負けを認めてるようなものなのだ
力をとったらもう何も残らない、カラカラの人間。
だったら。
私は「力」以外の武器を身に付けてやる。
「言葉」と「特質」と「論理的思考」をできるかぎり取り入れる。
もう、争い事は厭だから…
[二次関数。
世界の宗教分布。
1000年前のベストセラー。
こんな知識を覚えてなんになるの?と思うような内容ばかり載っている教科書を、それでも丁寧にノートに書き写し頭の中に叩き込む。
学校に行かない奴は頭が悪い、と決めつけている奴等を見返す為だけに続けてきた『テスト満点計画』。
その名の通りテスト当日だけ出席して満点をとってくるという作戦の実行日、実は明日である]
………………っ…
[力みすぎたのか、シャーペンの芯が折れて文字が歪になってしまった。
書き直そうと手を伸ばす、が
先程筆箱をひっくり返した時に消しゴムをどこかに落としてしまった事を、ナオはまだ知らない*]
[少なく見積もっても、不幸な時ではなかった。
自分に限った話でいえば、あの、二人で過ごした時間は、幸せだった。
遅かれ早かれ、ミルクの泡のように消えてしまうものであったとしても。
こうして今、カフェモカを飲むには、必要な時間だった。
すこし冷めたカップに口をつける。
ミルクの泡は、黒を縁取るように、ほんのすこし残っていた]
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