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朝
おはようございます
[病院の受付は24時間体制だ。
朝早く、交代のために受付に顔を出した野木は、書類の整理を始めた。
昨日の見舞い客リスト、そこに知らず目を留めた名前が二つ、あった。
[社長 ヘイケ]と――]
[平家に柏木。どちらも長くこの病院に入院している者の名前だ。顔の思い浮かぶ、彼らへの見舞いだろうか。
それともまったく、違う誰かへか。
野木は浮かんだ二人の顔を打ち消して、リストをファイルにしまった。
帽子の位置を直し、
そして、また一日が始まる*]
[『嬉しい』という言葉へ送った微笑に曇りはなく、素直な感情を露呈させる。
芸術センスに欠けた己の解釈がどこまで正しいのか解らなかったけれど、強ち間違いでは無かったのか。
否。
続く響きに双眸を瞠らせる。
『女神』の正体、それが既にこの世を去った歌い手の女性だったこと、それに驚きを隠せなかった。]
そうか、……なるほど。
……オトハさんは、……女神になったのでしょうね。
[オトハの死を知るものであれば凡そ、医者らしからぬ台詞だと感じるかもしれない。ちり、と胸元に痛みを覚えて眉根を寄せる。
軽く睫毛を伏せ、その痛みを霧散させてから、もう一度キャンバスと対峙した。]
柏木さんには、……世界がこんなふうに、鮮やかに見えるんですか…?
[明け方、ひっそりと一人の少女が息を引き取った。
夜中に降り始めた雨は、人々が目覚める頃あがっていき、そして彼女の願いにより
大きな虹が、空に架かった]
女神に、……なった?
[結城が零した言葉に、僅かに首を傾けるようにして、疑問符の形の復唱を零した。単に絵や彼女の人となりについての感想とは、何処か違う色を感じて。
彼女に何かあったのだろうか。何か――思案し想像したが、それを口に出す事はしなかった]
そうですね。
そう。とても、色取り取りに……
見えます。
そして、…… いえ。見えます。
[代わりに続く問いかけに答える。そして。そう言った時には、視線はキャンバスの中央、シルエットの人間に向いたようだったか。続け様、周囲に点在するイーゼルを、壁の紙達を、見やり]
時計………
[手を伸ばして、触れる直前で止めた。硝子盤の欠片が周囲に飛び散っている。剥き出しになった文字盤もひびが全体に入って、持ち上げたらぽろぽろと崩れそうだった。
ベルトは傷だらけながら形は保っていて、改めて手を伸ばし、掴んだ]
…っ 冷たい
[やはり文字盤は半分ほど崩れ、中身が見えてくる。精巧な作りだ。こぼれない様両手を使って、目の前まで持ち上げた]
……綺麗なのに
[こうなる前から壊れていたことは知らない。未だ自分の腕時計を持ったことのない少女は首を傾げ、破片の大きいものを拾って掌で包み込んだ。
それを枕元に置いて、その日は眠りについた。カチコチ、カチコチ――聞こえるはずのない秒針の音が夢の中で響き渡っていた]
朝
[今朝は珍しく看護師が来る前に目が覚めた。カーテンを引いて、窓を開けた。ベッドに戻り、枕元の棚の上、ハンカチの上に置いた時計をぼんやりと眺めていた。
虹はもう消えかかっていて、少女の目には留まらなかった]
ええ。
きっとこんな風に、世界を見守ってる。
[『死』という単語を口にしなかったのは、圧倒的な存在間のある絵画を前に、思い浮かばなかっただけなのかもしれない。
オトハの死は恐らく、そろそろTV等で報道も流れている可能性も。尤も、柏木がそういった情報に興味があるのかは謎なところで。]
そう、ですか。
[生命力に溢れる色の洪水。こんな風に、柏木の世界は拡がっているのだと、確認し。「そして」と途切れた矢先、軽く首を捻る。
けれど次第に、絵画に見惚れるように綻ばせていた頬は無へと変化を遂げていった。]
ねえ、柏木さん。
僕、『怖いもの』から逃れる方法、思いついたんですよ。
[視線はキャンバスから、室内をぐるりと眺めるように這う。
他の作品のひとつひとつをじっと、眺めていて]
なおらないかなあ
[検査の関係で今日は朝食をとることが出来ない。伸ばした指で、時計の残骸をつつく。人差し指に小さい傷がついても気づかずに、もう一度毛布の中に潜り込んだ]
こういうの得意な人、いないかな…
おばあちゃんとか
あと男の子ってこういうの得意かな
あと…
[絵を描く人。もしかしたら、彼ならば、直せるかもしれない**]
[ふと結城が口にした、前日の話に続く言葉に、男は其方へ顔を向けた。帽子をほんの僅かだけ上げ]
……
怖いものから、逃れる、方法。
それは、一体?
[先を促すように、問いかけた]
[柏木が帽子の鍔を、ほんの少し持ち上げて興味を示した。
微かに瞳を細め、口角を弓なりに引き上げ柏木を見つめる。]
……何も、感じなければいいんですよ。
世界に色を感じず、灰色の世界で生きる。
[尤もこれは、己の『怖いもの』から逃れる方法でしかない、故に柏木の『それ』に使えるのかは謎であり。
けれど、自分のそれと柏木のそれが、同一のものであると何時しか思い込んでいた。]
何にも固執せず、執着せず……、
そうすればきっと、……痛みは感じなくなります。
[それは単なる逃げ、でしかない。気づけては、いないのだけれど。]
……、何も感じなければ。
灰色の世界で。
何にも執着する事なく。
[結城が紡ぐ言葉を復唱するように呟く。目の前の人物は、何を恐れているのか。その恐れは、己の恐れとどれ程重なるものなのかと、考えながら]
……そう出来たら。
そうですね。
それはきっと、救われるのでしょうね。
[何も感じないようになれたのなら。
執着を失えたのなら。
そうして、]
……
[一たび沈黙し、結城を一層見据える。立体視でもするかのように焦点を揺らし、それ以上に、意識を撓めていく。努めてそうすると、ふと、結城が色を――鮮やかなそれを失ったかのように、見えた。
周囲と共に灰色になったかのように、見えた。
そして、]
――っ、
[息を、呑んだ。
その面が歪み、笑う唇が、赤く染まったように、見えて。いつも描く人間のように。笑みが歪んだかのように、見えて]
ち、がう。
違うと、思っていたのに。違う?
違わない、んですか。
やっぱり、貴方だって、……
[男は、掠れた声で、唐突な、支離滅裂なような言葉を零した。がたり。背凭れの付いた椅子が揺れる。椅子から滑り落ちるように、男は床に尻をついた。傍らに椅子が倒れ、大きな音を立て]
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